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2007年11月 2日 (金曜日)

本「ぼちぼち結論」

 (中公新書1919、養老猛司

       ※
 Ⅰ
   定年後の団塊
   抽象的人間
   「先生」が成り立たない時代
   一億総インテリ化
   民間主導
   公平・客観・中立
   書評①「生命理論」
 Ⅱ
   自由と不自由
   モノですよ、モノ
   昆虫採集禁止
   どうかしてる
   クーデターと総裁選
   情報と感覚
   書評②「人生があなたを待っている」
 Ⅲ
   子どもの自殺
   ぼちぼち結論か
   データ主義
   同じ私
   なぜ脳なのか
   取り返しはつかない
   終わりは自然
   書評③「不都合な真実」
 Ⅳ
   結論は一つ
   あとがき

       ※

解剖学者の養老猛司さんが「中央公論」へ
2001年から7年間連載してきた
エッセイをまとめた。
 「まともな人」、「こまった人」に続く3冊目だ。

どのページも示唆的な言葉であふれている。
二、三例を挙げるとーー。
 『(略)個性が「自分のなかにある」という思い込みである。
そもそも違いとは、他人が感覚で捉えるもので、
自分のなかにあるものではない』
 『「金を使う権利」をたくさん持っている人をお金持ちと
いう。しかし、「金を使う権利」なんてものは、
死んでしまえばそれっきりである』
 『ともあれ、幸せに関する私の考えは単純である。
幸不幸はまったく個人的なもので、他人は本来
無関係だ、と。一般的な不幸というものは、おそらくない』
 『エネルギーはいずれ払底する。それなら将来の
文明は、人を訓練するしかない。そのために必要なのは、
人に決まっている。「人は石垣、人は城」。「米100俵」も
同じことである。それをいったのは外国人ではない。
われわれの祖先である」

 (700円+税、2007年10月25日)

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